読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

get ready -MINIMAL,ART,RUN-

ファッション/アウトドア/音楽/ミニマリズムなど

回帰する一人称 ー村上春樹『騎士団長殺し』の感想(ネタバレ含む)ー

f:id:remontea0710:20170226151319j:image

『騎士団長殺し』は最近の村上作品の中に無かった一人称の「私」が登場して、とてもなじみやすい作品でした。そして過去の作品のイメージの断片が多く散りばめられているような感覚を覚えました。

読み終えて少なくとも言える事は、私の中では『ねじまき鳥クロニクル』以来最も好きな長編小説であると感じました。逆説的に言えば『アフターダーク』『1Q84』『多崎つくる』的な三人称小説は私には馴染めなかったのが大きな要因かもしれません。つまり回帰する一人称こそが私の求めていた村上春樹だったのです。「私」が登場するのは長編小説ではおそらく『世界の終わり〜』くらい前まで遡らないとなかったように思えます。「僕」ではなく「私」。「私」は天吾や青豆や多崎くんより成熟した36歳の既婚(別れを迎えようとしている)男性です。その「私」に私も年齢が近づいてきている。つまりとても感情移入しやすく、世界に入り込めました。そしてストーリーテリングとしての村上春樹の筆致も無駄なく仕上がりが素晴らしい。いつもどおり、春樹が構築した世界へと導くレールを読者に敷くのがうまい。ページを繰る手が止まりませんでした。

過去の作品のイメージを想起させた部分など、思ったことを断片的に列挙します。

 

・雨田継彦の南京で首を刎ねさせられる話=ねじまき鳥クロニクルの間宮中尉と本田さんの話

・妻の懐胎があった日に妻と夢の中で性交する「私」。深田保を殺した時に天吾がふかえりと性交して懐胎した点

・石室=井戸 フロイト的イメージにすぐ解釈してしまうことに対する批判

・秋川まりえ=度々春樹作品に登場する幼い美少女=ふかえりやメイ

・「騎士団長殺し」=「空気さなぎ」寓意として語りえぬものを提示

・具彦の部屋の蓋の中、顔なが=メタファー、やくざな二重メタファー、暗渠世界=『世界の終り〜』の地下世界でバーに着ていく服を考える「私」と、「メタファー通路」でチーズトーストとコーヒーと「薔薇の騎士」のことを思考する。クラシックの延々とした薀蓄。

・コミの助言=風の音に耳を澄ませる=風の歌を聴け的なイメージ

・西洋画を日本画に置換=解釈して寓意として置き換えること。

・メタファーとイデアと対話する「私」

・フォレスター男の「理解不可能な他者」表象

・カント、プルースト、カフカ、エリオット、ドストエフスキーなど

・肖像画は描写対象の内面を引き出して心象をも引き出しうること

・色から免れている存在(面識との掛言葉もあるか)、免色さんの触媒としての存在

・cav empt=買い手責任

・イデアとはプラトン「洞窟の比喩」にもあるように直接的には見えないもの

・最終的に通常の「模写的」肖像画を生業とする「私」

・歴史モノ=ノモンハン戦争のごとく登場する具彦のウィーン時代

 

などです。村上春樹はよく全体主義的な画一化に拒む作品をメタフィジカルに描くと言われています。だからこそ一義的に解釈できる理解可能な小説は書かないのでしょう。今までの形象は「羊」「やみくろ」「ワタヤノボル」でしたが今回はフォレスター男なのか、二重メタファーなのか、ぼんやりとしてわかりません。しかし「何かを文字ではなく絵として描く」発想は新しく、とても多義的に解釈できるので興味深かったです。例えば平野啓一郎は『空白を満たしなさい』のフックとしてゴッホの絵を導入していましたが、村上春樹は絵とは何か、人を描くとはいかなることかと言う絵画論的な展開を物語のフックにしていました。しかしながら物語としてのワクワク感はさすが村上春樹、特にファンではない方も読みやすく描かれているかなあと思いました。かねてから春樹を読んでいる方には昔の作品のモチーフがいたるところに現れているので、面白くなってしまうと思います。

取り急ぎ感想はこのくらいにして、あらすじも書かぬままレビューを閉じたいと思います。以下も併せてご笑覧ください。

 

村上春樹の読み方ー『騎士団長殺し』の前に

村上春樹の新刊『騎士団長殺し』が発売されました。実は昨日の発売日に購入し、仕事が終わり次第家にこもって1部は読了しました。しかし今回はあらすじや感想は次回に譲ります。最近の長編では『色彩を持たない多崎つくる』、2冊というボリュームでは『1Q84』以来となります。私は一年を通して村上春樹を再読する試みを続けていますが、『1Q84』を久々に再読して、アラサーになった私は天吾と青豆の年齢に重なったこともあり、以前より面白く読めた気がします。村上春樹の読み方は色々あると思いますが私が共感できる点は恐らく

 

アラサー、都会に住む独身男性

 

という点に尽きます。それだけで自分の生活と密接にリンクしうる物語として享受することが出来ている。村上春樹好きを公言するのは憚れるし、ハルキストという揶揄にも取れる表現を自称することは差し控えたいと思っていますが、私が村上春樹を読むときは、「ガチ」で読んでおらず、ちょっと客観的というか「春樹かわいいな」的な、村上春樹の主人公特有の、昼からビールを飲んだりサンドイッチを有り合わせで作ったりウィスキーを飲みながらジャズを聴いたり、バーで出会った女の子とそのまま出来上がってしまったり、ソファーの硬さについて論じたり...と物語に関係のないと思われる細かくてくどい文章が大好きなのです。レイモンド・チャンドラー譲りのくどさというか仔細さ。そこを読んでにやにやする喜びが凄いし、比喩も初期のころと比べると最近は透徹した修飾をするから何回か読まないと比喩もよくわからない。圧倒的にくどくなってきています。

だいたい長編は3,4周してしまっているので、大好きな『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』は二つの物語が進行しますが、逆に好きな話である「ハードボイルドワンダーランド」だけ読むという新しい試みをしています。これは今までの読み方とちょっと違うので、好きなものを好きなだけ読めるという喜びがあります。

村上春樹の主人公はほぼ一貫して、音楽に造詣が深くー最近はロックやジャズからクラシックを聴く主人公が増えましたー、身体を鍛え、規則正しい生活をし、料理が上手く、簡単にいうとスカしています。スカし倒しています。しかし孤独を望んでいても可愛い美少女や余裕を持った妻帯者、自立した女性などスカし野郎を別世界に導くような巫女的な存在がいたるところに現れます。おそらく『騎士団長殺し』にも同じモチーフが現れるかもしれません。村上春樹は「文化的雪かき」のマスターだし、それに私は高校の頃から傾倒してしまい、いまだ抜け出せていないイタい読者のひとりであることは疑いようがありません。某カフェでノーベル賞の結果に憂えることは恥ずかしくてできませんが、周囲の友人と春樹についてああだこうだ話すのはとても好きです。

飽きることなく色々な発見が出来る春樹の小説。『騎士団長殺し』はどのような世界観を提示してくれるのか楽しみです。