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「昔は良かった」「今の若者は」発言

最近、年下のアーティストが優れた音楽を作っている事実を純粋に享受できて、その音楽を楽しめてる気がする。たとえばceroやD.A.N、水曜日のカンパネラやきのこ帝国などカッコいい。

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本当に偏見で申し訳ないのだけど、アジカンを源泉とした、4つ打ちにキャッチーなリフを入れて嫌が応にも盛り上がる系は食傷気味で、だいたいそういう系のアーティストの前髪が伸び重め系は見た感じが好きになれないというか...一方ceroとかはさっぱりしていてシャツが似合い、清潔感かつ都会感がある。昨今のシティーボーイやシティーポップに合ってると思う。ceroとか洋楽っぽい、ブラックミュージックっぽい気持ちいいグルーヴ感って、ここ最近急に波及し始めた。星野源もそうだし、ディアンジェロの復活もデカかったのかもしれない。くるりナンバガアジカン系から遠く離れて、他の音を聞いて育ったんだなあと思う。D.A.NはWarpaintやthe XXみたいな音でびっくりした。

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話が違う方向にいきそうなんだけど、そうしたときに登場するのがいわゆる「懐古厨」と呼ばれるクラスタだ。「初期厨」とも呼んでもいい。懐古厨や初期厨の特徴は文字通りアーティストの昔を懐かしみ現在を否定すること。「昔は良かった。今はメジャーにいって変わってしまった」「昔は荒削りで尖っていたのに今は丸くなった」と。そんな「懐古厨」を量産してしまうバンドは数えきれない。BUMPやスーパーカー、くるり、アートスクール、だいたいロッキンオン系のバンドは「初期(前期)こそ至高」信仰が強いの傾向にある。

懐古厨はよく考えてみるとオジサンないし高齢者の言動に似ている。オジサン曰く「今の若者は○○だ。昔は違っていた」と。けれどもこのオジサンたちも昔はその前の世代のオジサンに「今の若者は●●」と言われているのであり、彼らはその前の前の世代のオジサンに「今の若者は××」と言われており...という無限遡行が続き、宇宙の始源=ビッグバンに行きつくパターン。

要するに昔と今の若者の違いを言い立てていますが、実際「最近の若者は●●」の「●●」の部分に該当する文言(「当事者意識が低い」「責任を負わない」「社会との関わりを持たない」)はあくまでのその時代背景や時代精神に規定されるものであり、そのモノサシで「現在」を測ろうとするのは難しい。すなわち「●●」とは過去の時代精神を準拠としている限りにおいて、必ずしも「現在」の若者世代にフィックスしうる言明ではない。その裏返しが若者の「●●離れ」である。 

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2chのまとめでも話題になっていた上記の図。若者、色々離れすぎだし、逆に何だったら近いのか教えてほしいぐらいだし、よくわからないものもチラホラ。カップ焼きそばは少なくとも皆食べてると思うけど。要するに若者が離れてしまったと大人は嘆く。しかしこれは大人の嫉妬というか、若者にはもう戻れないという羨望ー昔は良かったーだとしたらどうでしょうか。自分の立脚点を担保したいがために境界線を引くことで自己保身に走るというか。

 そうであるように「○○はサブカル」「●●は厨二」という言動も同じものです。自分の立脚点を担保するために侮蔑や卑下してサブカルと揶揄し、境界をつくっていく。たいていの批判者はネットやブロガ―ですので生産者(アーティスト)ではない。「東大に行っていない人が東大を批判できないようにCDを出していないアーティストじゃない人がアーティストを批判できない」という命題がある。同じステージ上に居ないものを批判するのは容易だ。懐古厨はまさに自己保身的な考え方であり、例えば「彼女が髪型とかイメチェンしたことに対してついていけなくなってる少年」ような感覚と一緒だ。寂しさを感じるというか、嫉妬というか。そういう心理学的に話にならざるをえない。

 強引にまとめると、若者問題や懐古厨とは、若者やアーティストそれ自体に問題があるのでなく、それを語りたがる/語ろうとしたがる方にこそ問題がある。語りたいドライブは「昔は良かった」「昔の方が良かった」ということが、少なくとも人間は変化します。その変化を受け容れるかどうか、それが例え自分の好みに合わずとも、アーティストなり若者なりが「楽しんでいる」姿がまず第一条件ではないでしょうか。幸い私の周りでは「最近の若者は〜」という発言はそこまで聞こえませんが、大学生を見ていると「若いなあ」と思ってしまいます。シニカルな意味はそこには込められていないのですが。その「若いなあ」は自分に対する「ええ若くないっすねもう」に置換される。そんな半端な嘆きに檄飛ばす。

……とここまで抑えていましたが要するに若さにしがみつくというより老いていくことを肯定しつつ若さを否定するような二律背反な感情にアラサーたちは置かれているのではないか、と薄々思いました。とにかく「cero、いいねえ」みたいな若者たちの才能を、輝きを認め続けられるオッサンになりたいものです。「昔は良かった」「今の若者は...」とならないことを願って選挙に行きます。