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ファッション/アウトドア/音楽/ミニマリズムなど

持続可能性に関するノートあるいは杉本博司『ロスト・ヒューマン』

ART/CINEMA

 

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持続可能性。通称サスティナビリティ。

コーポレートガバナンスやらコンプライアンスやらビジネス的横文字で並列的に語られることが多い。あるいは持続可能な社会。リサイクル、再生可能エネルギー。

なるほど哲学や神学などの形而上学的な学問では計り知れないアクチュアルな問いの数々。経済学や社会学などの社会科学が要請されうるかもしれない。

私が持続可能について考える時、そんな学問的諸相から離れて大きくマクロとミクロという二つの位相に分かつことができる。

マクロとは建築についてだ。もはやバブルの時のようにボコボコと都心に超高層ビルー「スカイスクレーパー」などという言葉もあったーが雨後の筍の如く建つことはない。東京オリンピックも既存の施設で賄うほうが無難だ。維持費がまずとてつもなく長野オリンピックのように財政赤字で今後東京は火の車になることは明白だろう。

建築における持続可能性の掛け金は、いかにして既存の建築を丁寧に、誠実に扱い、保存していくかという問いに他ならない。

一方で都市とは人間が構築した人工物に他ならないが、林立する高層ビルから離れた鄙びた場末の裏地に現出しては消えゆく有象無象に蠢く不良なものたちーパンクス、スケーター、ラッパー、モッズーは現代の若者をいまでも魅了し、それがモードの最先端として再起し(「ラフシモンズ」から「ヴェトモン」)、都市の暗渠に潜むカルチャーがメインストリームに包摂される(「セックスピストルズ」から「フリースタイルダンジョン」)。ホワイトの名著『ストリートコーナーソサエティ』を持ち出すまでもなく、都市に生成する若者カルチャーがもたらす一閃は今でもその輝きを失わない。

カルチャーは持続可能か...これはまた別の問いではある。パリは古くからの街並みを保存して高層ビルを建てることが禁止されている。その禁止がもたらす均衡された街の姿こそパリの表象を成立させてはいる。ここでサスキア・サッセンの『グローバル・シティ』あたりを持ち出せば都市社会学に精通してるっぽくてカッコいいのだけれど、あいにくサッセンはそこまで読んでいないのは不徳の致すところではある...

あと50年後、東京の人口は激減し空き家や空きマンションが激増し相場も暴落するとか言われている。一方で東京を離れ地方に拠点を移す「さとり系」の若者も増えているという。『アキラ』のような荒廃した都市が訪れるのだろうか。翻って持続可能とは、何の持続可能なのか。「いかにして」という構築主義的問いではなく、「なぜ」という存在論的問いが先立つ...リサイクルシティのようなものが推奨されゆくのだろうか。禁止や節制が称揚される社会...に対するバタイユの「蕩尽」(ここに見田宗介は希望的観測を見出していた)...

一方でミクロ的視点としての衣服。衣服は消耗品だ。いつか買い替えねばならぬ。いくら高価なプラダのカシミヤセーターを買ったところで、いつか生地は摩耗する。そして高価な生地ほど繊細で弱い。その逆のファストファッション。摩耗が早いので買い替えやすい。大量生産と大量消費がもたらす即時的な衣服。どちらが優れているかという問題ではないが、出来るだけ使うものは長く愛でていたい。革靴は磨いていくうちに、3年、5年と年輪を重ね、より高貴な輝きを放っていく。経年変化が最強の進化(いとうせいこう)。

けれども持続可能な服には消耗品であるかぎり限界がある。トレンドや嗜好もある。だから数多のファッション誌が喧伝する「絶対」「一生もの」などという扇動は虚妄に過ぎない。ファストファッションに拮抗するモードはない。アンダーカバーが、コムデギャルソンが、ジルサンダーが、アレキサンダーワンが、ルメールが、マルジェラがファストファッションと結託した。モードの最先端が一夜にしてファストファッションに成り代わり、世界の果てまで衣服が飛んでいく。そんな時代に私たちは生きている。持続可能なファッション。BACK TO BASIC。

 

杉本博司の展示『ロスト・ヒューマン』はまさに上記の問いを私たちに投げかけていた。それも問いのレイヤーが重層的に折り重なっていた。

杉本は数十回私たちにこう問い続けた

 

今日世界は死んだ

もしかして昨日かもしれない

 杉本は有史以前=原始と宇宙の起源=原子と現在を往還し、未来的視点から「世界の死」を見据えている。持続可能なものへの思考とは、第一に死んでしまったものたち、喪われてしまったものたちの視点、第二に未来のー数百年後の他者の視点、この双方向から現在を照射することなのかもしれない。

 

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