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回帰する一人称 ー村上春樹『騎士団長殺し』の感想(ネタバレ含む)ー

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『騎士団長殺し』は最近の村上作品の中に無かった一人称の「私」が登場して、とてもなじみやすい作品でした。そして過去の作品のイメージの断片が多く散りばめられているような感覚を覚えました。

読み終えて少なくとも言える事は、私の中では『ねじまき鳥クロニクル』以来最も好きな長編小説であると感じました。逆説的に言えば『アフターダーク』『1Q84』『多崎つくる』的な三人称小説は私には馴染めなかったのが大きな要因かもしれません。つまり回帰する一人称こそが私の求めていた村上春樹だったのです。「私」が登場するのは長編小説ではおそらく『世界の終わり〜』くらい前まで遡らないとなかったように思えます。「僕」ではなく「私」。「私」は天吾や青豆や多崎くんより成熟した36歳の既婚(別れを迎えようとしている)男性です。その「私」に私も年齢が近づいてきている。つまりとても感情移入しやすく、世界に入り込めました。そしてストーリーテリングとしての村上春樹の筆致も無駄なく仕上がりが素晴らしい。いつもどおり、春樹が構築した世界へと導くレールを読者に敷くのがうまい。ページを繰る手が止まりませんでした。

過去の作品のイメージを想起させた部分など、思ったことを断片的に列挙します。

 

・雨田継彦の南京で首を刎ねさせられる話=ねじまき鳥クロニクルの間宮中尉と本田さんの話

・妻の懐胎があった日に妻と夢の中で性交する「私」。深田保を殺した時に天吾がふかえりと性交して懐胎した点

・石室=井戸 フロイト的イメージにすぐ解釈してしまうことに対する批判

・秋川まりえ=度々春樹作品に登場する幼い美少女=ふかえりやメイ

・「騎士団長殺し」=「空気さなぎ」寓意として語りえぬものを提示

・具彦の部屋の蓋の中、顔なが=メタファー、やくざな二重メタファー、暗渠世界=『世界の終り〜』の地下世界でバーに着ていく服を考える「私」と、「メタファー通路」でチーズトーストとコーヒーと「薔薇の騎士」のことを思考する。クラシックの延々とした薀蓄。

・コミの助言=風の音に耳を澄ませる=風の歌を聴け的なイメージ

・西洋画を日本画に置換=解釈して寓意として置き換えること。

・メタファーとイデアと対話する「私」

・フォレスター男の「理解不可能な他者」表象

・カント、プルースト、カフカ、エリオット、ドストエフスキーなど

・肖像画は描写対象の内面を引き出して心象をも引き出しうること

・色から免れている存在(面識との掛言葉もあるか)、免色さんの触媒としての存在

・cav empt=買い手責任

・イデアとはプラトン「洞窟の比喩」にもあるように直接的には見えないもの

・最終的に通常の「模写的」肖像画を生業とする「私」

・歴史モノ=ノモンハン戦争のごとく登場する具彦のウィーン時代

 

などです。村上春樹はよく全体主義的な画一化に拒む作品をメタフィジカルに描くと言われています。だからこそ一義的に解釈できる理解可能な小説は書かないのでしょう。今までの形象は「羊」「やみくろ」「ワタヤノボル」でしたが今回はフォレスター男なのか、二重メタファーなのか、ぼんやりとしてわかりません。しかし「何かを文字ではなく絵として描く」発想は新しく、とても多義的に解釈できるので興味深かったです。例えば平野啓一郎は『空白を満たしなさい』のフックとしてゴッホの絵を導入していましたが、村上春樹は絵とは何か、人を描くとはいかなることかと言う絵画論的な展開を物語のフックにしていました。しかしながら物語としてのワクワク感はさすが村上春樹、特にファンではない方も読みやすく描かれているかなあと思いました。かねてから春樹を読んでいる方には昔の作品のモチーフがいたるところに現れているので、面白くなってしまうと思います。

取り急ぎ感想はこのくらいにして、あらすじも書かぬままレビューを閉じたいと思います。以下も併せてご笑覧ください。