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髙島野十郎展@目黒区美術館

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若冲の異例かつマッドな混み具合に敗走し、急遽走り込んだのは高島野十郎展。たかしまやじゅうろう。聞いたこともなかった。おそらくカラヴァッジョも若冲も忘れられた画家的なリバイバル感があるけれども、高島も同じく〈再評価〉された画家だという。福岡に生まれ東京帝大を首席で卒業した後、画家の道に進むと言い周囲から行方をくらます。友も妻帯も持たず西欧を、そして日本を放浪する無頼派であった高島は唯一岸田劉生に私淑していたというが、画壇に属すこともなくひたすら静物や風景を描き続ける。対人関係が苦手だったのだろうか。彼が描くものはコミュ二カティブな志向作用のない、つまり動かずそこにあるものを執拗かつ緻密に描出する。林檎や蝋燭や月に固執し、そればかり何枚も何枚もお経を唱えるかのように描き続けた。

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暗室で明滅する蝋燭…ラトゥール、あるいはリヒターも蝋燭は描いていてそれらは大好きなのだが、それよりも野暮ったい。蝋燭自体も太くて短く、燭台もなく裸で机に置かれたものが多い。ワイルドだ。肖像画すらまともに描いていない高島は、その代替物として蝋燭に自己の照り返しを見ていたのかもしれない。そして茫漠とした深い青と緑の空に浮かぶ月の明晰な明るみに、彼は何を投影していたのだろうか。

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〈月ではなく闇を描きたかった〉という。余計な斟酌はすべきでないが、超俗的な高島の絵からはダイナミズムやアグレッシブさよりも孤独や内省を感じる。画壇とは無縁の寄る辺なさと、それでも対象へ執拗にしがみつき自らの存在を担保するような作用…あるいは蝋燭や月としての自画像。陳腐な表現だが徹底して仔細まで描ききる作品群は西欧的な美しさとは違った異様さをもたらしていて、研ぎ澄まされた感覚の向こう側にある孤独と熱意は並みのものではない。若冲を見逃したことで逆に高島野十郎という孤高の画家に出会えたのは良かった。入室4時間待ちという異様な人気を誇る若冲展を諦めた方におすすめです。

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