get ready(30代男の物欲と服ログ)

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「都会」と「キャンプ」と「登山」を貫くファッションはいかにして可能か?

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Anatomica 2015aw

 

登山と都会を繋ぐもの、それがキャンプだ。逆に言えばキャンプ慣れしているひとは、登山にいっても自然に溶け込むことができると思う。要は経験値なのだ。キャンプにどれくらい行ったか。ウキウキして買い物でゲットし、ワクワクして持ってきた道具を使う中での失敗や成功。その経験と更なる取捨選択から次のキャンプは磨き上げられる。お金と時間を使って作り上げられるキャンプそのものが経験値に基づくとすれば、いわゆるオシャレにもいえる。数え切れない服を買っては着て、自分のスタイルを探求していく…今までいくら服に資本を費やしてきたのか。ただ少なくとも、ミーハーな私は今までストリートからモードからシティボーイからとりあえずどれも食わず嫌いなく受け入れて、積極的に邁進してきたのであり、その中で似合うもの、似合わないものを取捨選択してきた。時に自分の感覚のみを過信するのではなく、周りの友人の意見も貴重であることはいうまでもない。外へ出たとたん、自分の全体像を見るのは自分ではなく他者であるからだ。私は生まれてから死ぬまで自分の全体像を他者の目線から俯瞰することはできない。写真や映像を別として。外に出れば私は他者の目線に晒される。

さて、それはそれとして都会的なスーツ的な生活とアウトドア的なカジュアル的な生活との二項対立をどう止揚するのかが最近のテーマともいえる。ミニマリストであれば黒一着のスーツがあれば冠婚葬祭どれでもいける、あとは必要ないと言うかもしれないがそれで登山するのはキツイ。キャンプもちょっときついかもしれない。さて、前の記事で「スーツで登山」が日常の普段の自分を溶け込ませる手立てとして理想だと述べた。ジェームズボンドがここでは理想像として挙げられる。だが実際にそれは不可能なので出来るだけ機能的なスーツでいきたいと述べた。果たしてそれはいかにして可能なのか? 都会と山は極端すぎる。ここでキャンプという中間項を挿入してみよう。キャンプはまさに都会と山の中間地点といえる。言うまでもなくキャンプのファッションは都会と山の中間地点であり、都会からキャンプの精神的距離は、都会から登山のそれより短いし身近だ。参入障壁がない。リア充のノリだけで成立しているテニスサークルのウェイウェイ大学生も気軽に楽しめる。北アルプス登山のような生と死の境界に立たされることはまずない。その点、ワイルド体験があるようで実は人工的な擬似ワイルドでもあることは強調して良いだろう。オートキャンプ場に甘んじてしまえばそれは都会とキャンプの中間地帯ともいえるが、われわれの見解ではよりワイルド体験が望ましい。登山寄りのキャンプだ。薪も焚べるしテントやタープを用いて椅子も自前のものを持ってくる。あくまでそこでのファッションを考えたい。AKBみたいなヒラヒラミニスカな女の子も要はキャンプに来れてしまうのだ。そうではない。それで上高地にも来れてしまうのであれば、少なくとも横尾から涸沢までのファッションを考えたい。そうすると登山ファッションになってしまう。そこらへんはさておき…

私はおしゃれではないのだがおしゃれな人はよく「カジュアルダウン」という言葉や「ドレスアップ」という言葉を使う。ドレスとはスーツのことであり、それをダウンさせる。たとえばジャケットに短パンを穿いてローファーを履く。Knower magという人気ファッションブログを運営しているMB氏によれば、おしゃれとは「ドレス」と「カジュアル」のバランスらしい。ドレスとはスーチングのことで、カジュアルとは上下スウェットやサンダルなどラフなスタイルを差す。たとえばチェックのシャツはどカジュアルだが、白のブロードシャツはどドレスだ。その中間項、カジュアルとドレスの落としどころを探っていくと、白or青のオックスフォードシャツに行きつく。ボタンダウンで裾を出しても様になり、仕事でも使えなくもない。これは一例だが、MB氏の提唱する「ドレス」と「カジュアル」のバランスは、強引に当てはめてしまえば「都会」と「登山」と言えなくもない。そうすると「キャンプ」とは「ドレスとカジュアルの中間」でなくてはならない、となる。ドレスはゼニアやロロピアーナ、ベルルッティからジルサンダー、ディオール、サンローランなどのモードまで。アウトドアはパタゴニア、アークテリクス、ノースフェイスからモンベルまで。その中間はなんだろう。例えばノースフェイスパープルレーベルを作ってるナナミカや、ノンネイティブなどのキレイめアウトドア系やアメカジワーク系、あるいはNハリウッドなど機能的なモードを取り入れるところ。中間地帯は実に魑魅魍魎、渾然一体、かつ旧態依然として中途半端ともいえる。だからこそファッションは難しくも楽しい。問われているのは、TPOを越えること、つまり都会とキャンプと登山の越境に他ならない。

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Anatomica2015aw

越境する服...すぐ思い浮かぶのはワークやミリタリーだ。そもそもワークやミリタリーという言葉に男は弱い。男は薀蓄で服を着て、女は感覚で服を着るのだ。女が「かわいい」と思って買う服に理由や薀蓄は必要がない。「かわいいからかわいい」のだ。この究極のトートロジーを男は理解できないだろうし、女も男のうざい薀蓄を理解できないだろう。男の服はジーパンからニューバランスから薀蓄の宝庫だ。それをビギンなどの雑誌はまざまざと主張する。噺が横にそれた。ワークやミリタリーは無骨でガタイの良い男しか似合わない。が、上品にそれらをアップデートしているブランドも多い。エンジニアドガーメンツ、Nハリウッド、アナトミカ、ヤエカ、ハイク...日本を代表するブランドも、結局ミリタリーやワークに造詣が深いブランドであり、ドレスにせよカジュアルにせよ、ミリタリーという変数は確実に両者に絡んでくるのだ。特にアナトミカやハイクは上品にミリタリーやワークを女性的なものとして解釈し、時代の感性を注ぎながらスタイリッシュなものとして再構築している。

洋服というもの自体すべて西洋から発祥したものであり、われわれの洋服はほぼ西洋の影響を受けていることは否定できない。その西洋の洋服もミリタリ―やワークという実用的な要請から生まれたものばかりだ。都会とキャンプ、そして登山を貫くファッション…この探究をすすめていくには、ミリタリーやワークといった要素と通時的ー共時的な要素をよりディグっていく必要がありそうだ。

 

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