あまりにも重いものって出来れば持ち歩きたくないですよね。
私が重いモノを持ちたく無い理由として、ウルトラライト登山という、「登山における装備の軽量化」に傾倒したことも手伝っています。
ところでお金の消費とは、お金とモノの交換であり、モノの移動です。とくに物流というのは文字通りモノが流れていくことを指しますが、「消費」とは上述の通り「お金とモノを交換すること」だとします。
飲食物は消化されますが、モノは消化されません(減価償却では価値が漸減していきますが)。
だから、たいていモノは家の中に溜まっていきます。服だったり、靴だったり、雑貨だったり。それらすべてと交換可能だったお金とは、魔法です。
私たちが身につけている、目にしているものすべては、お金と引き換えに手に入れたといえるでしょう。マルクスの価値形態論という考え方によれば、お金はすべてを交換する魔法のものです。すべてはお金という尺度によって規定されるようです。
お金とは貨幣や紙幣という実体があるかのように見えますが、実際は数値であり、概念です。
※参考図書【資本論】
事実、現在私を含む多くが電子マネー、クレジットカードを主に利用しています。カードにおいて、お金は質量を持たなくなります。かつては金属だった貨幣は、軽量化を遂げるべく紙幣になったことをここで想起しておいて良いでしょう。
そして2020年代、私が持っているのはスマホでありカードであり、貨幣や紙幣ではありません。もう大きな長財布は必要ありません。
一方で、私はモノを蒐集する癖を持っています。本やCD、服や靴や時計…そもそもミニマリズムと矛盾しています。
お金を出す事によって、本や服は、店から私の家にやってきます。ここでも消費とはモノの所有権の移行であり、モノの移動です。
家に迎え入れることがモノの所有であり移動であると。
電子マネーでいえば、質量ゼロのものから質量アリのものへの交換行為ともいえます。
わざわざお金を払って重いモノを買うのもどうかなーと思ったり。でも服や靴が好きだったり。※シンプルに考えるにはドミニク・ローホー氏の考えも参考になります。
ミニマリストにおいてまず価値があるのはモノより空間です。空間を支配するモノこそ悪者扱いされて、断捨離が推奨されます。
ミニマリストの部屋がすっきりしているのは、そこに文字や色など、余計な情報がないからです。
ここで「モノとは情報である」と思い切って定義してみます。情報を捨象することは、ミニマリズムへつながります。物を捨てることは、その交換の始源である貨幣と、情報を捨てるということです。
極限まで軽量化され、いまや貨幣はデジタル化されて質量ゼロとなり、財布もほぼ無用な長物となりつつあります。その中でモノを買い、モノを移動して自宅で所有する費用対効果について、引き続き考えていきたいです。
よろしければ下記ボタンを押していただけますと励みになります。
関連記事