2012年頃から特にヒップホップを聴いてきて、今年で10年目。今年も行ったライブの殆どがヒップホップでした。
自分が特に好きなJJJというラッパーや、その周りにいるラッパーのライブには出来る限り通いました。
なぜそこまでラップにハマったのでしょうか。
極私的な話になりますが、私はかつて大学院で「アウシュビッツ以後の思想」について学んおり、「アウシュビッツ以後に詩を書くことは野蛮だ」と言った哲学者に対抗するように詩を書いた「アウシュビッツ」を体験したパウル・ツェランという人物に着目しました。
圧倒的な破局において、その「現実」を語るべき言葉はなく、それは「経験の貧困」(ベンヤミン)ともいえる空白だったはずです。
ツェランの詩は、隠喩に満ち満ちており、理解不可能な詩です。しかし、伝えたいことがないと詩など書く意味もありません。
しかし、そのような暗喩や寓喩(アレゴリー)に満ち満ちた言葉、文法を無視するような言葉でなければ、圧倒的な破局は語れないのでは、というのが私の大学院で学んだ考察でした。
ツェランは詩を「投壜通信」に例えています。空きビンの中に手紙を入れ、「誰でもない誰か」に当てて海に放るアレです。ツェランの詩はまさに誰にでも誰かに宛てた、暗喩めいた詩となっています。
誰かに言葉を、詩を書くとはどのような行為なのでしょうか…しかしこれはまた別の話に…
思うに、ヒップホップのリリックは「自分が自分であることを誇る」ような、直接的に自分の思いを弾丸のように言葉に込めて放つ営為かもしれません。
しかし、ロックもそうであるようにラッパーによってその表現方法は変わってきます。
ビートアプローチ、フロー、リリックやライム。
「誰かに届かないと意味がない」ように、例えばKREVAは「伝えなくちゃ伝わらない」(タンポポfeat.ZORN)とラップします。
確かに直接的に伝えるラップがあり、そのリリックは私を多いに触発してくれるものですが、一見何をラップしてるのかわからない断片的なリリックなのが、たとえばJJJです。
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大丈夫すぐ晴れる
窮屈な円を出る
最高は日々重ねていくジェンガ
0-40から捲るような目つき
俺ら正気
開けた瓶につめた韻
要はありのままでFree
宛のない便箋に3つのJ
零さず耳にぶちこむ
当たり前のflowならここじゃpass
飾りじゃないbrain絞り考えな
飛び乗る列車は戻ることを知らず
出入りを繰り返すMANAとすり減ったhigh
細いので蒸し余裕の面
また暗くなる前にお前を迎えに
sameの無いQuantizeで打つ
星と滅ぶXのwingに鉄の芯
明かさないMind
残酷なテーゼ
a talk about
話はこのverseの頭に戻る
(STRAND feat. KEIJU)
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サンプリング元が分かる部分もありますが、よくあるJ-popの歌詞より抽象的で、断片的なのがおわかりいただけるでしょうか。
JJJはそのフローも独特で、単語単語で区切り独特のバイブスを生んでおり、いわゆる普通に聞くラップみたいな安易なフローではありません。
であるからこそ、余計にリズムキープの巧さが光りますし、断片的な歌詞も、その性質に合わせたようなフローのため、際立ちます。
「開けた瓶に詰めた韻」や「宛てのない便箋に3つのJ」など韻を織り交ぜながら、まさに「投瓶通信」のようなことをラップしています。
たとえば彼はビートメイクも超一流で、先日もAbema「ラップスター誕生」を見ていたら、ビートを提供していましたし、数々のラッパーのビートをプロデュースしています。まず、自分が知りうる限り最もセンスの良いラッパーです。
コラボ相手もKEIJU、先般の「CYBER PUNK」ではバッドホップのBenjazzy、5lack、Campanellaなどセンスのあるラッパーばかりです。
PUNPEEのようにポップカルチャー的な受容はなかなかまだ難しいかもしませんが、BIMがそうであったように、STUTSという大きな存在がJJJをより開かせてくれているのは確かでしょう。Changesは私のここ数年のベストトラックであり、JやSTUTSの代表作ともなっている名曲です。
良質なビートをドロップしているJですが、2017年の「HIKARI」以降アルバムを出していません。もう4年、5年目になるので、来年はぜひ出してほしいと思うし、おそらくそれも傑作になる気がして楽しみです。
本来ならば彼の所属しているFlashBacksから語るべきだったのですが、それは割愛してJJJのリリシストな部分について紹介しました。
よろしければ是非聞いてみてください。