get ready(30代男の物欲と服ログ)

都内/三十代男性/既婚/会社員/メンズファッション/アウトドア/音楽/ミニマリズムなど

社会的なもの・パリピ経済・DOTAMA

 

 



三題噺に全くならない3つのお話です。
 
①社会的なもの
大学院を経て留学してそれなりに社会に出て数年経つ。大学院のひと、留学したひと、留学してないひと、社会人のひと。それぞれの道に一定の時間ウロウロしていただけに、ボンヤリ違いがわかる。大学院や研究者志望のひとは社会人に対して嫉妬が込められたまなざしを向ける場合があるような気がする。お金が稼げないから。(私は思弁的な学問を齧ったあと、社会学に研究対象を移行した。)
 社会人も大学院生をある程度蔑視的でまなざしている。働かざる者食うべからず的な。思弁的な勉強が何の役に立つのかと。特に哲学や神学は実生活の地平から離陸する。一方で「社会」とは何かを問う学問である社会学が自家撞着に陥るのは、まさに社会学する主体が社会人でなく学生であるという点だ。「社会」を見てない学生が「社会」を知り/語りうるのか、という社会学の原基的な命題...
いやいや学生も社会に根ざしているのだ、という見方もある。ボランティアやバイトや選挙などの<アンガジュマン>...しかし社会学がここでまた蹉跌をきたす原因は、社会を研究する当事者が「社会」に内包されざるを得ず、外部的なモノとして「社会」を観察することの不可能性に拠るところが大きい。見田宗介も言うように、「社会」は目に見えない。正義や愛や幸福や戦争が目に見えないように。「「社会」に出る」とは一定の組織に所属し年齢や職種の異なる様々な人と出会い、給与を貰い、それで衣食住その他をまかない生きていくことだと仮定してみる。自分が自立して行く基盤を得る準拠点が社会であると。学校、病院、銀行、農業、広告、不動産、音楽、出版、ファッション、芸術...何百種類の職たちが私たちの生活を支えていて、おそらくどこかに私たちは準拠している...
 
②パリピ経済
それでも社会ってなんだろう。「社会」の「社会的構成」なんていう自家撞着...そんなことを考えながら先日は『パリピ経済』という新書を買った。上流階級で都市圏に住むハイクラス大学生らから構成させるパーリーピーポー=パリピは、今や市場規模でバレンタインを抜いたハロウィンの火付け役と言われている。「マイルドヤンキー」や「さとり世代」という用語を生み出した著者、原田曜平氏は昨今あるいは未来の若者の消費活動の源泉はおそらくパリピであり、トリクルダウン的に下層のパンピーやマイルドヤンキーに波及していると見ている。パリピの精神性はかつて北田暁大がSNSを「つながりの社会性」と呼んだ現象に類似する。「つながりの社会性」とは、メールの手段である「つながる」という営為それ自体が目的化され、メールの内容には差し当り大事な意味はない、という現象を指す。パリピも自分たちの大好きなパーティーを企画して、内輪の仲間やそれ以外の知り合いを増やして、即時的な関係性の中で大いに盛り上がるそうだ。
(EDMパーティー、六本木や渋谷のクラブ、カラーラン、 EDMラン、ハロウィーン、リムジンパーティー、ラブホ女子会、ナイトプールなど)
私はどちらかというとシャレオツな場所に行きたくても恥ずかしくて行けず、いまいちうだつの上がらないボンクラだし、周りにパリピの友人も居ないのだが、都心の大学にはパリピは多いんだろう。彼らは「人生を毎日楽しみまくっており、友人関係の質より量を求めるのが大切な価値観であり、基本的に人の話を聞いていない」という。深い洞察や思弁的考察よりも、彼らは常に直感で行動しハッピーになって、相手もハッピーにしたいという奉仕精神がすごいらしい。新しいものへの刺激に誰よりも敏感ですぐ影響を受けるという姿は私に近いと思うのですが。。
 
③DOTAMA
サラリーマンを辞めてラッパーになった KEN THE 390やDOTAMA。特に最近DOTAMAの「音楽ワルキューレ2」を良く聞く。DOTAMAのラップすごい好きです。こないだ表参道裏のカフェでおそらく青学の大学生男女4人のうち男がフリースタイルダンジョンの話をしていて、本当に人気やばいなと思いました。キックザカンクルーも直に聞いていない世代でしょう。影響力が本当にえげつない。ここまでヒップホップというかフリースタイルがリバイバルしているというのは素晴らしいことです。さてFSDでモンスター側になってしまったDOTAMAの「音楽ワルキューレ2」がとにかくいい。呪文のような「音楽不況に殺される、音楽不況に殺される」という1バース目から癖になる。音楽業界のヤバさを軽快なシニカルさを交えて、それでも悲観的じゃなくフローするドラマのバース。終始飛び跳ねまくるトラックも文句無し。
 
 
音楽ワルキューレ2/ DOTAMA
 

音楽不況に殺される 音楽不況に脅される

音楽不況が追ってくる と思ったが結構大丈夫

音楽不況に殺される 音楽不況に脅される

と思ったが意外に大丈夫

結果が見えない時代です そのご意見はしたためる

チグハグながら磨くテク 僭越ながら自在です

音楽に女神は居るの? yes!存在するけれど

救うためじゃない 俺の処刑の執行に彼女が再来

 

エクスキューション エクスキューション

女神が俺をエクスキューション ×4

 

処刑されそうこんなに だけど生きるどっかに

処刑されそうこんなに だけど歌う俺なり

処刑されそうこんなに だけど生きるどっかに

処刑されそうこんなに・・・

 

俺の歌は1千万枚 売れることは絶対無かった

代わりの音楽シーンってやつの 生き残り方の探し方

ミュージシャン歴は何年? 脱サラしてからは3年

マインドサラリーマンラッパー MC DOTAMAと申します 音楽で食いたいのみは勘弁 と思って自己表現

やりたいことやれてるけど 滑って転んで起きての活動です

カツカツで生き残って安定? してるか分からんが前列 のお客様楽しませ 歓声呼び起こすための精進です

バトルの戦績は 音源売り上げに悲しいが連動せず

でも成功面を 自分の音楽性能性にするのはです

労働基準に触れるペースの SNSの宣伝広告

不況という殺戮ショー 現実逃避じゃないダンスを踊ろう ファーストアルバムで 召喚した俺のワルキューレは超ドS

でも混沌とした この時代にはちょうどです

誰もが呼ぼうとクリエイト 曲やライブに魂込めるよ

呼べた俺は幸運だが 彼女が見せた世界は強烈

あれもいいしこれもいい グループもソロもカッコいい

多すぎて少しげんなり お店でしてない展開

娯楽時間を奪い合うタイムリミット 女性がだいぶリード アイドル含めリスナーに対し アーティストの数が多すぎる

しかもどれもクオリティが高い 反比例し聴く暇がない

多忙な現代社会 大量の過去の名曲も襲来

衝撃慣れしきったシーンで アーティストの製造方法

いい曲作って歌うこと 以外に何があるのかね

 

何万曲の歌たちが 毎日生まれて残った

何万曲の歌たちが お金に関係なく 新たな世界を見せてくれるんだ

Spotify 嘘みたい びっくりどっきり技術の発明で 進化は動き出す

Spotify 嘘みたい なあなあだって嘘みたい

アプリやソフトの進化で MC真価だって動き出す

消費スピードは瞬き されたくないのは肩たたき

女神は予算を渡さない フリーコンテンツがあざ笑い

YouTubeはアラを探さない 需要と供給逆さまに

目標数字が空回り 音楽で生きるのはバカバカしい?

NO私は高笑い 感性いたってあなたらしい って言われるラップをするMC 闇は光でしか話さない たっとぼうとしたカットオーは かっ飛ぼうとしたから葛藤 膨大なリリース化を遊ぼう フレッシュな音で荒らそう

ミュージシャン人口 間引かなければと 誰かが思った

それでも進化は止まらない 我らの進化は止まらない

 

音楽は娯楽として飽和してると 誰かが思った

それでも進化は終わらない 音楽は終わらない

 

この「音楽」を「社会的なもの」に置き換えても良いかもしれない。アジカンがかつて隠喩的に指し示した「時代と寝るようなダンスビート」 のような揶揄ではない。もう自分が音楽業界でやることなんてないんじゃないか。音楽の女神が俺をエクスキューション (処刑)。そういう状況への意思表明としてDOTAMAが生み出すフローはギリギリ首の皮一枚で食い繋いでそれでもラッパーとして生きて行く意思と決断として読み取れる。宮台真司はかつて「社会は終わらない」と言った。「だったら俺らの進化も終わらない」、とDOTAMAは言う。それでいいじゃないか、と私は思った。