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(ややネタバレあり)村上春樹『街とその不確かな壁』感想

 

 

私と村上春樹

私は自身が15歳の時に村上春樹『海辺のカフカ』が発売されて以来(2002年)、およそ20年に渡り村上春樹を読んできました。それからというもの長編、短編、翻訳等あらかたの村上春樹の著作を読み漁ってきました。特に初期の『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』、『ダンス・ダンス・ダンス』が大好きであり、『ねじまき鳥クロニクル』までの村上春樹作品を好んで何度も読み返しています。

一方で『海辺のカフカ』以降、『アフターダーク』、『1Q84』、『多崎つくる』、『騎士団長殺し』あたりはそこまで好んで読んでいるわけではありません。

私は村上春樹に対して複雑な感情を持っています。それは例えばノーベル文学賞に落選した時にカフェで嘆くファンや、いわゆる「ハルキスト」と呼ばれる村上春樹を手放しで評価する信奉者がどうも胡散臭く感じられてしまうからです。

村上春樹の楽しみ方は人それぞれなのですが、私は村上春樹の主人公の「僕」や「私」などの私小説的かつ都会小説的な部分に惹かれており、それはまさに村上春樹自身の投影であるところで、例えば都会の孤独な独身男性のライフスタイルみたいな部分、冷蔵庫のあり合わせでパスタやサラダを作ったり、ビールを飲みながらジャズを聴いたりといった細かい生活様式だったり、清潔なシャツを着てブルージーンズを履いてテニススニーカーを履いて、綺麗に掃除をして身体を点検して暇があればプールに行って、熱いシャワーを浴びたり、と、そういう部分が好きなのです。物語自体はもう『海辺のカフカ』以降あまり好ましくはなく、ハードボイルドさみたいなものは『海辺のカフカ』の主人公(「世界一タフになると決めた15歳の少年」)以降、薄れていっているような気がします。そして主人公が未成熟であり、他者や自分以外の価値観を持つ者との葛藤や苦しみは特に感じません。(そもそも村上春樹の主人公はそのような他者というよりは喪失や不在に対して熱烈に固執します)

そしてそのような葛藤があろうが、朝起き、熱いコーヒーを飲み、ジョギングをして、朝食を作り、帰ったら熱いシャワーを浴び、腹筋をするんです。時間があれば掃除もするしプールにもいく。主人公がこういう生活習慣をかたちづくることにこだわりを持つところこそ、私が村上春樹を読む喜びであり、影響を受けたところです。

上記の通り、私にとっての村上春樹は内容を楽しむ作家というより、形式を楽しむ作家であると言えるでしょう。現実と対応する非現実ーそれは夢であったり影であったり井戸であったりしますー、その並行世界を往還するファンタジー的な要素も勿論村上春樹ワールドの魅力であり、今作『街とその不確かな壁』においても中核となっています(他の春樹作品がそうであるように)。

『街とその不確かな壁』の感想

今回は2日とちょっとで読了しました。およそ600ページあり、3部構成となっています。1部で3割、2部で6割、3部で1割、といったボリュームでしょうか。事前情報というか村上春樹のコメントで「<夢読み>」というワードが出ていたので、おそらく今作は『世界の終り〜』と通底するテーマを持っているだろうことは予想していましたが、まさにそのような展開が1部でなされています。そして驚いたのは74歳の村上春樹が「きみ」と「ぼく」という二人称で17歳の男の子と16歳の女の子のピュアな恋愛を描いていたことです。のっけから「またまた〜」と思ってしまいましたが、そこには他者の介在しない、「きみとぼく」だけの世界が語られます。もちろん比喩を多用した村上春樹特有の透徹された文体です。物語の流れも冗長に感じてしまい、1部は正直読み進めるのに苦労しました。(後書きで村上さんが「1部だけで終わる予定だった」と書かれていましたが、もしこれで終わっていたら私の中では本当に残念な作品で終わるところでした)

物語は2部で漸く動き始めます。主人公の年齢は17歳から40歳を超え、それなりの社会人になってはいますが、やはり16歳の「きみ」のことが忘れられません、そして何よりも「きみ」が語りかけたことで作られた「世界」=「世界の終り」と並行する世界を現実世界でも追い求め、「きみの作った世界」に登場した図書館に近似する図書館を発見し、そこの館長になり、そこでさまざまなことが起こり...

とストーリーが展開します。現実世界のストーリーはテンポ良く、福島の会津地方に移り住んだ主人公がコーヒーショップを見つけ、そのジャズが流れる店内で「温かいコーヒー」を飲み、ブルーベリーマフィンを食べ、その女性店員と仲良くなる様子はまさに「これこれ!待ってました!」と心躍りました笑 閉店後のそのカフェでボウモアとかウイスキーを飲んで氷は入れずに常温の水で割るあたりも『もし僕らの言葉がウイスキーであったなら』みたいな本に似てます。こういう形式を楽しむのが私の村上春樹の楽しみ方です。

とある老人や少年が登場しますが、これまた村上春樹作品には良くある「亡霊」や「コミュ障だけど天才的な異能を持つ子供」となっていて、この作品を彩る魅力的な人物です。

最後の3部は駆け足で終わってしまい、正直尻切れトンボのように見受けられもしましたが、600ページという分量を飽きさせることなく物語を展開させるのは流石であり、この「現実と虚構の往還」という村上春樹王道のストーリーを今回も楽しむことができました。ただしこの作品における主題や散りばめられたエッセンスはかつて彼が書いてきたことの変奏=セルフサンプリングであり、パッチワークであるかのような印象を受けました。

まとめ

「あとがき」に村上春樹はボルヘスを引用しつつ、「作家は生涯同じテーマを手を替え品を替え書いていく」というような開き直りとも取れる趣旨のことを綴っています。

私は今まで村上春樹の長編小説に「新しい村上春樹の進化=深化」を期待しすぎていたようです。それはかつての「羊をめぐる冒険」や「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」のような、みずみずしい情感と都会的な洗練された、でも孤独でドライで喪失感のある都会小説です。しかし、村上春樹はもうこれからも新しい進化をするというよりも、今までと同じように、同じテーマでセルフサンプリングを繰り返していくことでしょう。著者が何歳になろうが、常に主人公は村上春樹本人なのです。

冒頭で私は「村上春樹はその形式を楽しむ作家だ」と言いました。石川さゆりが紅白で天城越えと津軽海峡〜を交互に歌うのを楽しみに待つように、村上春樹もそのベタさを愉しみ、大いに盛り上がるのが私にとっての楽しみです。「キタキタ、これこれ!」という感覚。また何年先になるかわかりませんが、また他の物語でも本質的な部分は全く変わらないであろう村上春樹作品をまた楽しみに、長い目で待ちたいと思います。

 

以上、書評にもならぬネタバレ感想でした。