ボルタンスキーをみました。パリのポンピドゥーセンターや豊島で見た以来。私の大学院の研究対象であったショアー=ホロコーストを起点に、失われた他者の記憶や面影の表象(不)可能性を問い続ける作家です。この手のアートや思想からは遠く離れていたので、とても懐かしく、かつ新鮮に鑑賞できました。
以下、作品を見てのメモ。文章にしにくく、断片的なものの集まりとして。
断片的にしか語りえぬ記憶の残滓、残響を展示すること
離脱する魂と弔いの花
苦痛から解放される魂
声の作品が増えた
物質的ではない、感情を喚起させるもの
如何様にも解釈できる声
パスポート写真の問いかけ、装置
声ではなく目の問いかけ
風に揺らめく眼差し リヒター的な存在の揺らぎ
600の風鈴と、風化し忘却される作品への未来的な他者の巡礼
亡霊としての呼び声ー死者の現実への介入
一義的な存在の金切り声ではなく、静謐なものとして
星が最も見える場所
豊島 誰もが心臓音を録音できる場所
作品が残存し作家が消滅する
作者の死ーロランバルトーソンタグ的問いかけ
風鈴に好きな人の名前を書ける
伝承されたものは芸術より強い
三世代前の親族は歴史から忘却される
自分の身体や精神ー記号は歴史的な祖先から受け継がれたもので生成される
累積されるTシャツの山から震災を連想する日本人と、解釈の安易さ
折り重なる他者の眼差し