get ready(30代男の物欲と服ログ)

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村上春樹のノーベル賞を阻もうとするオジサンの愚鈍さは異常

 

 

川端は日本の精神を繊細に綴って近代文学の到達点に至らしめたとか大江は戦後民主主義を代表する作家だとか、そういう政治性や思想性が皆無だから村上春樹はダメとか必死になって拒絶しようとするひと

 

実際村上春樹はそんな政治性とか時代の代表になろうとは微塵も思ってないだろうし毎年恒例のノーベル賞取るか取らないかっていうあの人たちにも距離おいてるだろうし本人は無関心なんじゃないかな。大体村上春樹は純文学じゃないとかライトノベルで格調が低いとか垢抜けないジジイが批判したところで何も益になるものじゃないし、村上春樹の小説や世界観を1mmも貶めるものではない。

ボブディランがノーベル文学賞を取って毀誉褒貶あるようだけど結局年功序列で死ぬ前にしか取れないものらしいので早かれ遅かれ春樹も取るんでしょうけどそれで春樹の名前が飛躍的に上がるものとも思えません。現時点で世界文学的な意味においてアジアでは圧倒的な人気が(特に若者に)あるので。そもそも科学賞はともかく平和賞や文学賞はやはり人文学的な「主観」でしか評価がなされないので偏りは出てくる。客観的指標がないものの評価をめぐってああだこうだ言うことの愚かさというか、この文章もその類にもれなく絡め取られているわけでして。

ここで書きたかったのは要するにサンドイッチもパスタも作らず洗濯も掃除もアイロンも掛けない腹の出ただらしないオジサンがストイックに鍛え磨き上げられた村上春樹作品を批判したところでまったく意味ないじゃんということです。

芥川も太宰も三島もパスタの茹で方についてなんて語らなかった。そこなんですよね春樹の核心は。別に物語の脈絡とまったく関係のない物事についていちいち微細に語ろうとしたり比喩を交えたりする。レイモンドチャンドラー譲りでとても好きです。

スーザンソンタグ風にいえば春樹を読むこととは様式<スタイル>を読むことなのです。おそらく。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』をパティスミスは愛読していつもポケットには村上春樹が入っているという。トムヨークも春樹の小説からインスパイア―を受けている。スーザンソンタグ、パティスミスはもれなくボブディランの系譜を継いでおり、そういう意味では村上春樹もそのグループに属しているともいえなくもない。村上春樹は文学ではなく<様式>であり、 その<様式>は文学を飛び越えて音楽にも芸術にも飛び火する。

ちなみに私は高校一年で春樹作品に出会い、人生の半分ほど、それも重要な思春期・読んでいますが「春樹またくどいな~!」みたいなニヤニヤしながら読むのが大好きなので「ハルキスト」的なものとはまた違った立ち位置だと思います。でもあの偉大なスカし具合には多大な影響を受けておりますが...

ちなみに一番好きな作品は『羊をめぐる冒険』『ダンスダンスダンス』です。次点で『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』です。