私は父親を小さい時に亡くしていますが、私が15.6歳の時にふと机の引出しから発見した父親の時計を、わけもわからず付けていました。
母に聞くところによれば、その時計はどうやら、「私の父親の同僚だった男性の形見を、その男性の奥様から父親が譲り受けたもの」だったと言います。
ほう、と思い、ロンジンの「ロ」の字も知らない高校生の私は、その後G-SHOCKやスウォッチなどに浮気して、この時計の存在を忘れていました。
時を経て30手前になり、クラシックな服装に興味を示すようになり、私がカルティエの時計を持つ頃、このロンジンの時計のクラシックな格好良さがようやく理解できるようになりました。
ですがご覧の通り、この手巻きの腕時計はかなり古く、文字盤も変色や褪色が見られ、日差もかなりズレてしまいます。
そういうことで時計の修理屋さんを2件ハシゴしました。が、やはり文字盤に付着した汚れは落ちないから、もうクリーニングは難しいとのこと。2件ともに同じことを言われたので、ああもうこの時計も役目を果たしたのだな、というセンチな気分になりました。使えないわけではないので、このままでも動くし大丈夫ではあるのですが、やはり綺麗で正確なものではない分、付けていても何となく完璧をキープしていないところが私にも違和感でした。
ということで、この時計は3代目であり、十分にその役割を全うしたと認識して、新たにロンジンの時計を買い替えようと思いました。
できれば中古の時計で、これに似た文字盤、手巻きが望ましい。
この時計です。中古にしては状態もよく34mmなのですっと手元に収まります。普段スーツを着ることも多いので、このようなデザインが良いなと思い、それなりに時間を掛けて探しました。
けっこう文字盤も近しいモノを感じます。
スーツに付けるとこんな感じ。悪目立ちはもちろんしませんし、結構ノーブルな感じがします。手巻きなので厚みがないのもミニマムな感じで好みのポイントです。
そんなに高い買い物でもないのですが、「憑き物が取れた」ような感じがして、ロンジンの時計を無事バトンタッチできました。
35歳を過ぎた私にとって残りの人生を考えた時に、あと半分か、もうちょっと多いくらいになりました。70歳を過ぎた時に、自分の服は手元にどれくらい残っているのでしょうか。
計らずとも亡くなった父親が遺した、あるいはその前に父親の同僚が遺したその時計は、時代を貫いて私の手元で今まで動いていました。
思うに、時計は世代継承するものとしての価値がかなり強いと感じます。よく聞くのは、成人式に息子に自分の時計をあげる、などのエピソード。なんだか分かる気がします。
時計そのものの価値はさることながら、その時計を永く続くそれぞれの人生の手の上で、ゼンマイが動き、時を刻んでいくことに、ささやかな喜びと感動があるような気がしました。
さて、久々にまた時計熱が自分の中で再燃しています。また良き時計、自分の手元に長く収まってくれる時計をこれから探していきたいと思いますし、このバトンタッチした新生ロンジン君(新しい感じがしないのも凄い)とも、良い感じに付き合っていきたいです。
旧ロンジン君、父親が亡くなって25年以上たった今も動き続けてくれて、ありがとう。今まで本当にお疲れさまでした。