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ケンドリックラマー@サマソニ2023感想ログ

 

(長文注意 )

私はJ-POP,K-POP,ヒップホップ,R&B,ロック,ジャズetc...ジャンル横断的に選り好みなしで「かっけえな」と思った曲を聴いています。

例えば今年(2023年)フジロックで見たStrokesやサマソニで見たBlur、リアムギャラガーは、自分が高校〜大学時代によく「聴いていた」過去形の音楽です。それらのライブは、ある種のノスタルジー(哀愁)を伴う「懐かしさ」と共に「現在」の自分の音楽的嗜好とは異なるものとして定位されます。

この10年、つまり2013年〜2023年という10年、私は主にヒップホップを中心に音楽を聴いてきました。この10年は音楽史においてもヒップホップ(ラップミュージック)が覇権を取った意味で重要です。

ロックスターは老いていき、かつてのBlurやOasisやFoo Fightersの勢いはありません。それらの公演は、誤解を恐れずに言えばQUEENやクラプトンやKISSなどの来日が「懐かしい」と思うのと似ています。

ロックの勢いは世界的に見たら衰退しているかのように見えますが、この日本ではまだまだヒップホップよりロックの方が元気なようです。RADWIMPSやUVERWORLD、YOASOBI、あるいはR&Bに近いVaundyなど、従来の「ロック」とは定義できないオルタナティブな音楽が日本を盛り上げています。しかしそこにもやはりヒップホップ(ラップミュージック)の影響が見て取れます。(YOASOBI「アイドル」の3連符のフローなど)

ところで、ヒップホップは2023年に生誕50周年を迎えました。先ほども述べたように、この50年を掛けてヒップホップが「覇権を取った」と言える根拠の源泉は、ケンドリックラマーの存在です。もはや説明不要の世界最高峰のラッパーであり、ミュージシャンであり、それに異論はないと思います。

ケンドリックがなぜ格別な存在なのか、なぜすごいのか、という根拠についての記事は無数にネット上に存在するためそちらを参照いただければと思います。

www.universal-music.co.jp

kai-you.net

funky-president.com

 

ビートルズでさえ受賞していないピュリッツァー賞をヒップホップアーティストとして受賞したとか、エミネムがケンドリックのリリックが凄すぎてゴーストライターを疑ったんだけど、実際会って確認したら本当に本人だった、とか、色々逸話はあると思うんです。

でもそういう受賞歴や輝かしい噂を全て置いておいて、まずサマーソニックで昨日実際この私の網膜にケンドリックラマーを焼き付けた体験を残しておきます。

 

19:45に暗転。リアムギャラガーはスタンド席で鑑賞していましたが、ケンドリックはアリーナで見るぞ、と意気込み、アリーナのちょうど真ん中まで行くことが出来ました。すでにスタジアムは満席。そして「Heart part 5」のイントロ後にケンドリックが登場。

紫のブカブカのスイングトップと7部丈のワイドパンツのセットアップに白のハイソックス、白のNIKEコルテッツにpgLangのベースボールキャップにバンダナを垂らして、サングラス、という出立ち。どういう発想をすればそこに行き着くのかわからない異次元のおしゃれ具合。

 

セットリストも新旧織り交ぜて大変満足のものでしたが、特に魅せ方が物凄い。ケンドリック一人で舞台に立っていて、そのほかにはヘンリーテイラーというアーティストの絵(黒人の日常風景を描いたもの)のみ。この絵が非常に素晴らしかった。

https://artnewsjapan.com/article/1396

その絵の前でラップを滔滔と畳み掛けていくケンドリック。芸術的とも評されるスムースでクリアなラップは英語に疎い僕にも響くものがありました。そして野太いビート。音も最高。

昨今過度な装飾が施されたステージのような余計な味付けは一切なく、ケンドリックラマーというラッパーの存在の純度を高めていくシンプルかつミニマルな舞台でした。

そこに数人のダンサーが登場。白のシャツ?に黒いエプロンをしている、ケンドリックと同じ髪型とサングラスをしている黒人のダンサー。その存在もエプロンも何かしらのメッセージがあったのでしょう。動きも普通のダンスというよりシンボリックなダンスで、彼のステージ自体、その抽象的なダンサーの表現も含めて、一つのアート作品を見ているようでした。

所々しか聞き取れないし、自分も全てリリックを覚えているわけではないのですが、盛り上がるところでは会場全員で合唱できたし、コールアンドレスポンスもありました。

スタンド席で見ていた妻に終演後聞くと、リアムギャラガーも凄い盛り上がりだったけれど、それを上回るアリーナでの歓声と観客の高揚感がはっきり見れたそうです。

私は「Allright」という曲が大好きで、BLMの象徴にもなった一曲ですが、会場との一体感が物凄いものでした。あとはやはり「DNA」も最高でした。

彼の生まれ育ったコンプトンはギャングの抗争で日々銃撃戦により人が何人も死んでいる場所であり、ケンドリックも人の死をすぐそばで目撃しています。その体験から彼のラップは立ち上がっており、なおかつその表現をリリカルに描いているのが白眉であり、「good kid, mad city」とはまさに彼自身と生まれ育ったコンプトンのことを指しています。

我々日本人に彼のラップがどの程度理解できるのか、本質まで迫ることは難しいかもしれないけれど、ラップ聞くことでコンプトンや彼の目にしたもの、経験したことを追体験したり、何よりもそれが洗練されたアートフォームとしてラップという形式をとって昇華されていることが素晴らしい。

今回はアルバムリリースツアーでもないので、今までのアルバムから満遍なく曲を披露。

その曲のどれもが盛り上がっていて、中にはラップを暗記してるお客さんもいて痛く感心したし、嬉しくなってしまいました。

最後まで素晴らしいパフォーマンスで観客を魅了してくれたケンドリック。MCは最小限だったけれど、口数の少ないところも彼らしく、必要以上に自分を大きく見せようとしない。ミニマムなんだけど、「Less is more」 (ミースファンデルローエ)のマインドも感じて、ライブ自体はとてつもなく強靭で心も身体も持ってかれました。

翌日の午前中である今でもまだ体と鼓膜の奥に彼のラップが響いています。

最新作「 Mr.Morale & The Big Steppers」も密度の濃い傑作であり、まだ消化しきれていませんが、現代ヒップホップにおける重要作であることは間違いありません。私はゴーストフェイスキラー(ウータンクラン)を起用した'Purple Hearts'のビートとフローが大好きです。今後も一生追い続けていきたいと思えるラッパーであり「アーティスト」です。

 

哲学者のヘーゲルはかつて「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ」と言いました。これは、「物事は常に起こった後にしか認知できない」といった類の意味です。

今まで私は、「あの時見ておけばよかったのに」という後悔をフジロックやサマソニで幾度もしてきました。

しかしヘーゲルに抗して、夕暮れに飛び立つフクロウを知覚するのでなく(つまりその出来事が起こった後ではなく)、夕暮れの前にフクロウが飛び立つことは(つまり出来事の只中に没入することは)できないのでしょうか。

いや、できます。ケンドリックのライブを体験することによって。

ヒップホップという大きなうねりの「出来事の只中」があったとしたら、それはケンドリックのライブを見るという行為に他なりません。彼の「スタイル」自体が今後のヒップホップのトラック、ビートアプローチ、フロー、ライブやアーティシズム、ファッションに至るまで今後のスタンダードになっていくからです。(いままで以上にバンダナを頭から垂らしてその上からキャップをかぶるスタイルのラッパーや若者増えるでしょう)。

「ケンドリックを聴く」という経験は、「時代を聴く」という経験に他なりません。そんな存在はおそらく今後そう簡単には現れないでしょう。

以上、拙く拡散してしまった感想ブログでしたが、ケンドリックと同じ時空にいることが出来たのは幸せでした。

 

ケンドリックの生み出した作品はどれもがヒップホップクラシックであり、むしろヒップホップの枠組みを超えた最高傑作。ヒップホップ好き、というよりも音楽が好きな方にはぜひ聞いていただきたい作品です。